「まちは美術館であり、美術館はまちである」|金沢21世紀美術館館長 鷲田めるろさん
金沢市広坂、まちなかの中心に位置する「金沢21世紀美術館」。地方都市の美術館でありながら、世界的アーティストの個展や新作委嘱も実現する、国内有数の現代アート拠点だ。同時に、年間約200万人規模の来館者を呼び込む、金沢の「まちなか」にとっても欠かせない存在である。
今回は2025年4月に金沢21世紀美術館の新館長に就任した、鷲田めるろさんへのインタビュー。まちなかの美術館としてのミッションや、2027年に控えたメンテナンス休館時の構想、金沢という都市へのまなざしについて話をうかがった。

「まちに開かれた、公園のような美術館」
取材日の前夜には大雪警報が出ていた金沢。一面雪で包まれた金沢市役所前の広場には、大通りから金沢21世紀美術館への“ショートカット”となる細い一本道が、まっすぐに伸びていた。
誰かが除雪してくれたのか、人々の往来で自然にできたものなのか。どちらにせよ、美術館が生活動線の一部になっているようで微笑ましい。
世界的な建築ユニット「SANAA」が設計した円形建築は、東西南北に出入口があり、展覧会ゾーンを除けば朝9時から夜22時まで開いている。散歩や近道に立ち寄る人、仕事帰りにタレルの部屋で空を眺める人。年会費を払って「友の会」会員になれば展覧会も何度でも鑑賞できる。
文字通り「公園感覚」でアートに触れられる場で、金沢21世紀美術館における何かしらの“マイルーティーン”を持っている市民は少なくない。

「まちなかに人を呼び戻す」、美術館としてのミッション
一方で展覧会ゾーンの開場時間中は、県外だけでなく海外からの来館者がチケットカウンターに列をなし、ワークショップルームでは子どもたちが工作に励む姿が。円形の空間内にそれぞれの目的を持った人々が自在に回遊し混在している。
まちなかに、これまで多様なレイヤーの人々を呼び込んできた金沢21世紀美術館。
「中心市街地に再び人を集めること。それが金沢21世紀美術館に与えられた、一番のミッションでした」
そう語るのは、2025年4月に新館長に就任した鷲田めるろさん。鷲田さんは金沢21世紀美術館が「準備室」の段階からキュレーターとして携わっており、立ち上げ経緯にも詳しい。

「金沢の特殊性として、“鉄道の駅を中心に広がった街ではない”ということがあると思います。お城を中心として市街地が広がり、金沢駅はそこから少し離れたところにある。
しかし郊外型の生活の普及や、県庁や大学など主要機関の郊外移転が続き、『まちなかから人がいなくなっている』ということが、2000年前後の金沢の都市計画における大きな課題となっていました。さらに、北陸新幹線の金沢開業によって、“まちの中心”が駅方面へと移ってしまうのではないかー‥。そんな危機感が『美術館を作ることで、もう一度まちなかに人が戻ってきてほしい』という強い期待になったのだと思います」

「美術もやるし、まちづくりにも役立つ」
設立目的の段階から“まちなかの活性化”のミッションを与えられていた同館。そこにはバブル崩壊後の美術館事情もあったという。
「当時は『美術館』というもの自体が“冬の時代”にありました。1995年頃までは、バブル期に計画された大規模な美術館の開館(東京都現代美術館、豊田市美術館など)がありましたが、それ以降は『新規で美術館を建てる』ということは非常に難しくなり、美術館への予算自体が削られていった。つまり『“文化”のためだけなら、もうお金は出せない』という状況でした。
だからこそ当館のような後発の美術館は『美術もやるし、まちづくりにも役立つ』、この2つのミッションを担っていくことが求められていました」

(撮影:渡邉修/写真提供:金沢21世紀美術館)
交流を生み出す美術館
異なるものが隣り合い出合う場
アートも、まちづくりも。その姿勢を象徴するのが、キュレーションを担当する「学芸課」と並び立つ「交流課」の存在だ。
ダンス・音楽・演劇などの「パフォーミングアーツ」や「教育普及活動」、そして「交流の場の創出」。大きくこの3つの事業を柱として、地域や市民とのさまざまな交流事業を担当している。ここまで体制的に交流機能を位置づけた美術館は、全国的にも珍しい。館内にある「市民ギャラリー」の運営も活発で、市民と美術館を交流機能がなだらかに繋いでいる。
「金沢21世紀美術館の一番最初の構想は『現代美術館』と『芸術交流館』という“2つの機能をつくる”というものでした。しかし、それらをひとつに“統合”させた建築案をコンペで出してきたのが、SANAAさんでした」

分け隔てずにつなぎ、巡らせていく。
鷲田さんは館長に就任して、交流事業の活性化に改めて力を入れようとしている。
「美術館の構想自体がそうであったように、学芸課と交流課は“両輪”です。人員の関係でここ最近は学芸課に比重が傾いていましたが、交流課にてこ入れすることで活性化していきたい。やはりこの金沢21世紀美術館には、アートだけでなく、いろんな関心を持った人たちにお越しいただくことが大切だと思っています。
例えば、ライブや講演を聞きに来た方に美術の面白さにも気づいてもらったり、またその逆もあるでしょう。美術館の設計コンセプトの1つに“まちのような建築”ということが意識されていますが、異なるものが隣り合い、思いがけず出合うような、そんな場でありたいと思っています」


まちと美術館は “ギブ アンド テイク”の関係性
鷲田さん自身、金沢21世紀美術館の学芸課に籍を置いていたキュレーター時代から「まち」と積極的に関わってきた。
特に「金沢アートプラットホーム2008」では、美術館の枠組みを超えた都市回遊型アートプロジェクトとして、金沢市中心部の空き店舗や町家、公共空間なども活用して展開。そこから生まれた建物や場の一部は、今もまちなかで活用されている。
「アートが社会的な課題に向き合う潮流の中で、“美術館の外”に出ていこうとするアーティストに面白い人が多かったということもありますが、やはり『美術館がまちと関わっていく』ということは、美術館にとっても金沢のまちにとっても、非常に重要なことだと思っていました。
例えば美術については自分たちの方が詳しいかもしれないけれど、お茶や工芸など特に伝統文化については、僕らは“学ぶことしかない”わけで(笑)。ギブ アンド テイクでお互いに刺激し合っていく、そんな関係性が良いのではないかと思っています」

「金沢にきてから、お茶や日本家屋への関心が高まった」という鷲田さん。工芸をテーマにした展覧会をきっかけにお茶を習い始め、現在も稽古に通っている。また、空き家だったまちなかの町家を購入し、自宅として改修した。
「10年以上空き家状態だったために、屋根も一部落ちていたりとボロボロの状態だったのですが(笑)、元々木桶職人さんが工房兼住居とされていた建物だったそうで、通り庭の吹き抜けなどつくりが面白いんです。今でも少しずつ自分たちで手を入れながら楽しんでいます」

クリエイティブな人々の「第二のまち」として
また、2014年の北陸新幹線の金沢駅開通以降、「観光客」だけでなく「移住者」や「二拠点居住者」も増えた。特に首都圏からの20〜40代の若い層が多い(※)。
(※)…総務省「住民基本台帳人口移動報告」
「金沢21世紀美術館の開館によって、“伝統文化のまち”から、より広く“文化的な都市”というイメージが定着してきた部分もあるのではないか」と語る鷲田さん。
伝統的なものだけでなく、新しいカルチャーにも出合える。クリエイティブな場を求める人々にとって、美術館の存在がある種の“安心材料”になっているといえそうだ。
「ものづくりに携わる方々が多い金沢にとっても、『今起きている美術』に触れられる場があることが、何かしらのヒントやきっかけになったらいいなと思っています」

現在館長職だけでなく、東京藝術大学の准教授も務める鷲田さん。自身も東京と金沢を行き来する日々を送っている。
「コロナの期間を経てオンライン化や複業の推奨が進んだこともあり、二拠点生活も十分可能になったと感じています。また自然災害や戦争など、さまざまなリスクが高まっている現代において、“拠点が複数ある”ということは今後ますます重要になってくるのではないでしょうか。
特にクリエイティブな職種は、業務形態的にも多拠点がしやすい傾向にあると思うので、そういう方々にとって金沢が“第二のまち”になれると良いのかなと思います」

2027年、金沢21世紀美術館「休館」の衝撃
今や観光業だけでなく、金沢のまちなかにとって欠かせない存在となっている金沢21世紀美術館。しかし2027年5月から2028年3月までの約11カ月間、建物のメンテナンスのために休館することが発表されている。
これは鷲田さんの館長就任前から決まっていたことであり、かつ通常ならば2〜3年かけて行う美術館のメンテナンスを、異例の「1年以内」という急ピッチで収める計画になっている。とはいえ、その間の観光業への影響やまちなかへの集客減を心配する声は絶えない。
そこで昨年秋、2027年の美術館休館中に「金沢まちなか芸術祭(仮称)」を開催する方針が発表された。
「休館中も金沢21世紀美術館としての活動を継続してほしい、という近隣や経済界からの強いご要望があり、その声に応えられたらと、現在私たちも準備をしているところです」

“まちづくりの要所”に、美術館として関わっていくこと
「金沢まちなか芸術祭(仮称)」の会場候補には、今後の活用が注視されている「旧日本銀行金沢支店跡地」や、国立工芸館や石川県立美術館などがある「本多の森エリア」なども含まれている。
「これらの“要所”に美術館として関わっていくことが大事」だと語る鷲田さん。そこには、故・山出保元金沢市長とのエピソードがあるという。
「私が金沢に戻って来た時、山出さんはまだお元気でご挨拶にうかがわせていただきました。ところがその後体調を崩されてしまい、山出さんがシリーズで登壇されていた講義の代役として、私をご指名いただいたんですね。そこで、これまでの山出さんのレクチャーに目を通していると『これからの金沢のまちづくりを考えていく上で、要所は3つある』とありました。
1つ目が駅前の「旧都ホテル跡地」、2つ目が「旧日本銀行金沢支店跡地」、そして3つ目が旧石川県立図書館跡地から国立工芸館周辺までを含む「本多の森エリア」でした。“街が変わっていく時”に、美術館としてそのポイントになるところにしっかり関わっていくことが、展覧会のテーマとしても重要になってくるのではないかと考えています」

場を開き、土壌をほぐす
「日銀跡地に関しては、2027年の芸術祭が先行利活用の最初の事例となります。建築自体とても魅力的ですが、元々は銀行関係者しか出入りできない空間でしたから、まずは市民の方に広くご覧いただく機会にしたいと思っています。実際に使ってみる中でさまざまな意見も出てくることでしょう。私たちが入り場を開くことで、今後の議論のきっかけになれたらと思っています」

そして本多の森エリアでは、「ひと、能登、アート。」展を開催した(※現在は終了)。国立工芸館が金沢に移転して5周年になるが、この展示が「石川県立美術館/国立工芸館/金沢21世紀美術館」の3館が連携して行う、初めての展覧会となった。

繋がり合うことで、巡らせていく
「それぞれ扱う対象が異なるからこそ、互いに役割分担しながら連携していけたら。2027年の芸術祭についても現在検討しているところで、各館の学芸員同士の連携が活発になることで休館後のさまざまなアイデアが生まれてきたら良いなと思っています。
館同士が連携することで、お客様もエリアの回遊を楽しむことができますし、この循環を鈴木大拙館や中村記念美術館の方まで広げていけたらと思っています」
まちなかにとっての“ピンチ”であった、2027年の金沢21世紀美術館の休館期間は、美術館にとっては本来の理念を体現できる“チャンス”でもあるといえるのかもしれない。

根が育つ「余白」のあるまち
「山出さんのレクチャーの中で、もう1つ印象的だった言葉があるんです」と思い出したように語る鷲田さん。
「『金沢は“コンパクトシティ”でなくてもいいと思っている』と。さまざまな機能が密度高く、効率的に圧縮されているようなコンパクトシティではなく『緑や広場があるまちなかにしていきたい』そうおしゃっていました」
そしてこの講義が、山出保元市長の生前最後のレクチャーになったという。
“まちなかの賑わい”とは、ただ人や機能が密集していることではないはずだ。一人一人が関係性を編んでいる手応えと、その根が自在に育つ余白や土壌があること。その網の細やかさや、微生物の活発さこそが「まちの生命力」=「賑わい」につながっているのではないだろうか。

まちなかに賑わいを取り戻すことをミッションとして建てられた金沢21世紀美術館。2027年のまちなかでの芸術祭を構想するベースとして「まちは美術館であり、美術館はまちである」という言葉がある。同館準備室時代によく使っていたキャッチフレーズを、鷲田さんが「引っ張り出してきた」そうだ。
美術館とまちは、まさに同期しあう共同体。ゆるやかに場を開き、繋いでいく美術館の活動が、まちの土壌を柔らかくほぐし、新たな芽吹きをいざなっている。

PROFILE鷲田めるろ|金沢21世紀美術館館長。東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻准教授。前十和田市現代美術館館長/1973年京都府生まれ。東京大学大学院美術史学専攻修士課程修了。1999年から2018年まで金沢21世紀美術館キュレーターを務め、妹島和世+西沢立衛/SANAA、アトリエ・ワン、島袋道浩、坂野充学などの個展のほか、「金沢アートプラットホーム2008」「3.11以後の建築」「起点としての80年代」などのグループ展を手がけた。また、2017年には「第57回ヴェネチア・ビエンナーレ」日本館キュレーターとして岩崎貴宏の個展を企画。2018年4月よりフリーランスで活動し、あいちトリエンナーレ2019にはキュレーターとして参加。2020年4月から25年3月まで十和田市現代美術館館長。