食や工芸など、金沢らしさをまちなかで編集していく|OPENSAUCE 宮田人司さん

2010年3月、東日本大震災が発災する約1年前に東京から金沢に移住した〈OPENSAUCE(オープンソース)〉代表の宮田人司さん。食文化のアップデートやスタートアップの支援・育成など、多岐にわたる活動を通して、金沢のまちなかにさまざまな仕掛けをしてきた。その実例と思いを聞く。

金沢らしさを生み出すスタートアップ支援

宮田人司さんが、移住ブームが起こった震災後ではなく、先駆けて金沢に移住した理由のひとつは「EAT KANAZAWA」というイベントによるところが大きい。Electric、Art、Talentを略したメディアアートのイベントだ。毎年、錚々たるメンバーが参加しており、新幹線も通っていなかった1997年から金沢で開催されていたことには驚くばかり。

宮田さんは、2005年の第9回「EAT KANAZAWA」のプロデューサーを務めた。それからイベントや金沢での打ち合わせなどを重ね、人とのつながりや地場のようなものが固まっていくと、金沢に大きな魅力を感じるようになった。

2009年には子どもが生まれる。「子育てを考えると、文化の香りがする場所がいいと思ったんです」と、縁のできた金沢への移住を決意した。

「今でこそ工芸、アート、食文化が取り上げられていますけど、新幹線が通るまでは“裏日本”なんて呼ばれていて、それほど東京にも知られていなかったと思います。僕も『EAT KANAZAWA』に呼ばれるまでは、金沢のことを考えたことはなかった。でもだんだん知識を得たり、実際に住んでみると、素晴らしいポテンシャルがたくさんあることに気が付きました。こういう文化のあるまちが、世界に打って出る可能性があると思っています」

EAT KANAZAWAの様子。(画像提供:宮田人司)
EAT KANAZAWAの「言い出しっぺ」である元金沢市長の故・山出保さんと。(画像提供:宮田人司)

このインタビューを行なっている部屋は、現在は応接室のようだが、「まさにこの部屋から始まった」と宮田さんは話す。〈OPENSAUCE〉を始め、関連企業などが入居しているこのビルは、実はかつて〈KIDI PARSONS〉という専門学校だった。ニューヨークにある有名な〈パーソンズ美術学校〉の姉妹校である。

「当時、まちへの想いが強かった金沢の旦那衆がオーナーで自費を投入していました。ニューヨークから先生が来て授業もしていたみたいです。常々『金沢に住まないか』と誘われていて、実際に移住するタイミングと閉校になるタイミングが重なって、この部屋を貸してもらえてることになり、ひとりで事業を始めたんです」

〈KIDI PARSONS〉の前身は、1992年設立の〈金沢国際デザイン研究所〉だ。かつて若者がデザインに熱狂し、現在でもデザインの集積地となっているこのビルには、自然とクリエイティブの地場が生まれるのかもしれない。

事務所には元ミュージシャンらしく、ラジカセや楽器、スピーカーなどが並ぶ。

宮田さんが移住してまず取り組んだのは、都市の規模に対して大学や専門学校の割合が多い金沢における若手育成だ。自身も二十歳で起業し、東京在住時代からさまざまなスタートアップ支援を行なってきた。

「当時から、大人から見ると遊んでるようなものという扱いをされてきたんですよね。実際、自分で会社を立ち上げて、ずっと楽しく仕事ができた。だから金沢から起業家やスタートアップがたくさん出てきたら、もっとおもしろくなると思って。『まちというのは起業家を増やしていくと新しい見え方がしてくるし、将来どこでも働けるようになる』と、金沢のいろいろな大学の先生たちに説いて回りました」

 しかし本人の言葉にもあるように、起業家という概念は、15年前の金沢では浸透していなかった。

「ほとんどの大学は就職率100%を目指していました。それなのに起業家みたいな、無職みたいな人が増えては困ると、結構はっきり言われましたね。しかしそれでは将来まちは衰退してしまうと思ったので、起業のやりかたがわからない、やりたいけど一歩踏み出せないという若者、そして金沢で挑戦してみたい人を呼び込む支援から始めました」

宮田さんが金沢で支援したスタートアップにはひとつの特徴がある。それは金沢らしさと密接に関係している。

「金沢がシリコンバレーになる必要はないと思います。ITや今でいえばAIを追いかけても、おそらく追いつけない。それより、日本には世界から注目される文化があって、金沢にもそれがたくさんある。だから金沢らしいスタートアップを目指したほうがいいと思っています」

seccaが石川樹脂工業とともに開発しデザインしたテーブルウェアブランド〈ARAS〉。(画像提供:宮田人司)

例えば2013年に設立された〈secca(雪花)〉。伝統技術から最先端テクノロジーまでをかけ合わせてものづくりを行う集団だ。食と工芸のまちを体現するようなオブジェからプロダクトまでを生み出すことで、自然と金沢らしさにつながっていく。2023年には代表の上町達也さんが「Forbes JAPAN CULTURE-PRENEURS 30」を受賞するなど成長を遂げている。

宮田さんの尽力で金沢に移住した起業家は、その家族まで含めると70〜80人になるという。もちろん挫折してしまった人もいるが、いまもまだ8〜9割は事業を継続中。

宮田さん自身はバンコク生まれだったり、子どもの頃は引っ越しが多く、地元意識が希薄だという。しかし、金沢育ちのお子さんは高校生になった。次世代の金沢のあり方を必然的に考える。

「本来は自分が住んでいるまちに、産業とか働き口があればいいはず。本人が金沢がいいと希望しているのに、働き口がないのが一番問題です。未来の子どもたちに、そういうインフラとか土壌をつくろうとやってきました。“働くところがないから東京に行きます”って 一番寂しい気がするんですよね」

食文化の編集がまちの変化を促す

2017年、宮田さんは金沢で〈OPENSAUCEオープンソース)〉という会社を立ち上げる。レシピを世界共通フォーマットにするオープンプラットフォームとして、さまざまな食にまつわる展開を行なっている。IT用語でいうところの、ソースコードを無料で一般公開する「OPENSOURCE」。このソースのスペルを食の「ソース」に変えて〈OPENSAUCE〉と名付けた。

その事業のひとつとして、金沢一の繁華街である片町エリアに〈A_RESTAURANT(ア・レストラン)〉をオープンする。

「週の半分は営業して、残り半分は研究に充てるお店です。厨房は研究施設なみのものが揃っています。そしてレシピをすべて公開する。この営業スタイルは、金沢だから成り立つことですよね。東京の家賃だったらやっていけません」

立地の利点を活かせるから、先鋭的な試みに取り組むことができる。ただ、営利目的だけではない、カルチャーを生み出そうとする思いがあるのだ。

パーティなども開かれるA_RESTAURANT。(画像提供:宮田人司)

〈A_RESTAURANT〉は、かつてスナックがひしめき合っていた古い雑居ビルの2階にある。閉店していたスナック数店舗分をぶち抜いてお店にしたわけだが、1軒だけ営業しているスナックがあった(現在も営業中)。

フロアのほとんどのスペースを占める〈A_RESTAURANT〉のモダンな雰囲気に対して、スナックが1軒だけあるのは違和感がある。それならばと宮田さんがとった手段は、逆張りともいえる共存の一手。

「1軒だけだから違和感があるわけで、2軒あればそれも薄まるはず。そこで僕たちでもう1軒スナックをやることにしたんです。それが〈スナックパンチ〉です」

ただ質の高いお店を立ち上げればいいのではなく、場所やスペースも考慮して俯瞰する。まずは界隈から、ビルから、お隣から。お店ができたせいで周辺が廃れてしまっては、本末転倒だろう。

スナックパンチのママと。(画像提供:宮田人司)

一方で、金沢市内で広く受け入れられている事例として〈ALEMBIC Distillery(アレンビック・ディスティラリー)〉がある。醤油蔵が立ち並び、発酵のまちとして知られる大野エリアにつくられた、クラフトジンの蒸留所だ。代表作といえる「Alembic Dry Gin HACHIBAN」は世界的な品評会「インターナショナル・ワイン&スピリッツ・コンペティション2023」にて最高金賞を受賞している。

ALEMBIC Distilleryの蒸留所。(画像提供:宮田人司)

「HACHIBAN」は、金沢市内の多くの居酒屋やバーでも扱われるようになっている。外からきた人は地元のお酒を飲みたいものだし、わがまちの新しいお酒ができたことは単純に誇らしい。

「意識をしていたわけではありませんが、市内のお店で受け入れてもらえているということは、まちづくりのひとつになっているかもしれませんね。実は蒸留所の建物は少し先行してつくったんですよ。でも何も始まらないから、周辺ではピザ屋ができると噂になっていたらしい。そんな期待を受けて、蒸留所ができたわけです」と笑う。

醤油・味噌の発酵のまちとして認識されていた大野に、発酵飲料でありながらも毛色の異なる蒸留所ができ、バーとして飲食もできるお店ができたことは、地域の変化につながった。

Asileでは、宮田さん自身のライブに参加。犀川沿いのビルの7階にあり、ルーフトップバーとしても使える。(画像提供:宮田人司)

さらに宮田さんのルーツでもある音楽に関連するバーの話。片町にある〈Asile(アジール)〉は、もともとは〈リバーサイド〉というコロナ禍に閉店したジャズバーで、宮田さんも何度か訪れたことがあった。

「何年か前の『ジャズストリート』というイベントのときに、お店に人が上がっていくのを見かけて、僕も上がっていきました。ちょうどオーナーさんがいらしたので『再開したんですか?』と聞いたら『たまたま控室として使ってもらっていただけ』だと。そこですぐその場で『貸してください』とお願いしたんです。金沢もライブハウスやクラブがかなり減ってしまったので、知り合いのアーティストを呼んでもいいし、僕も音楽好きだから自分が楽しめる」

出会いは偶然だったかもしれない。当然、借りたいという気持ちがあっても、実際にお店として整え、オープンするにはそれなりの手間がかかる。仮にオープンしたとしても、うまくいくかどうかわからない。だからきちんとした経営判断が必要だろう、と思ってしまうのが一般論。

「採算はそこまで考えないですね。それよりも、音楽をやっている人たちが活動する場所が減っていると思うので、〈Asile〉ができることによって、まちが元気になってほしい。特に学生なんかには表現の場として活用してもらいたい。カルチャーが根づいていくことのほうが重要です」

お店が抜けた場所にぽんぽんとお店を置いていく。そこに深い戦略があるわけではないけど、偶然も必然に変えながら、まちの余白を埋めていくような作業だ。

未来=子どもである

廃校舎をリノベーションした金沢未来のまち創造館。(画像提供:宮田人司)

金沢未来のまち創造館〉は、宮田さんが代表理事を務める〈一般社団法人CLL〉がディレクションする、廃校になった元小学校を利用した施設。「スタートアップ・新ビジネス創出」、「子供の独創力育成」、「食の価値創造」が3本柱である。全国的にも統廃合される学校施設の再利用は課題になっているが、東京では〈HOME/WORK VILLAGE(旧世田谷ものづくり学校)〉や吉本興業が本社屋として利用するなどの成功例がある。ただ金沢ほどの規模だと、目的を絞り込んだほうがいいと宮田さんは話す。

「やはり未来=子ども。子どもたちのクリエイティビティをブーストするような施設ができたらいいと思います。学童のようなものはあるけど、もう一歩進んで、やりたいことを実現できるような場所にしたい。子ども、食、スタートアップをひとつの場所にまとめて、すべてがつながっていけばいいかなと思います。ただし10年くらいの長い目線で見ていかないといけません」

廃校が売却され更地になったり、住宅用地になったりする例もあるなかで、校舎がそのまま残っていれば、思い出が物理的に残される。

「母校がどんな施設になったのか、気になって見に来る卒業生が多いんです。思い出が強い卒業生は、有効活用してほしいと思っているはず」

児童はいなくても、子どもの利用者が多ければ、卒業生たちとも世代を超えたつながりが生まれるかもしれない。

まちを編集し続けること

「どんなまちでも、ずっと編集をし続けてきたから今があると思うんです。かつてのまちなみを壊さないでほしいと願うだけでは、思考停止だと思っています。自分の記憶にある場所を留めたいという気持ちはわかるし、残すべきものは残したほうがいい。しかし、人も建物も入れ替わっていく、編集され続けるまちは魅力的だと感じます」

編集とは、既存の素材を組み合わせたり、見せ方を変えたりして、あたらしい価値を付与するもの。それは刷新とは異なる。

「新しいものを付け加えることもあるけど、金沢というまちが育んできた歴史や人々の営みを尊重したうえで編集していく必要があります」

土地性をリスペクトしない限り、まちとしての個性は生まれないだろう。

「編集って楽しいですよ。以前、音楽の仕事をしていたときは、アレンジとかプロデュースが主な業務でした。それは編集なんです。作曲家はメロディラインだけパッと送ってくる。曲の雰囲気とか印象的なイントロとかをアレンジするのが仕事であり、それこそ編集です」

金沢でこうした意義ある活動を続けている宮田さんは、謙遜してこんな例え話をした。

「優秀なフォトグラファーとは、その場に偶然いた人って言うじゃないですか」

これは戦場系やドキュメンタリー系のフォトグラファーが、その場にいないと絶対に撮れない写真を撮っていることに対する評価だ。それに倣い「僕も偶然その場=金沢にいただけかもしれない」という。その理論でいえば、今後の金沢が「その場」になるべく、耕し、種まきをしているのもまた宮田さんだ。

「常に新しい価値観を生み出し続けるのは大切なこと。その時代に合わせて文化をアップデートしながら、次世代のみなさんの感性や体験を通して、まちなかを編集していってほしいです」

PROFILE
宮田人司|1968年、バンコクに生まれる。20歳で音楽家としての道を歩み始め、音楽制作会社を設立。コンピューターを活用した音楽制作における独自の専門知識を武器に、インターネット黎明期を駆け抜け、ISP運営やオンラインゲーム開発にも進出。特に、世界初の着信音ダウンロードサービスにおいて急成長するグローバル音楽市場を牽引した。2010年には、金沢に移住し、都市再生に情熱を注いでいる。さらに、様々な業界におけるスタートアップ企業の育成と起業家支援にも尽力している。
https://miyata.co/
https://opensauce.co/

文:大草朋宏
写真:亀山文音